ゆるーく生きるためには沖縄なのか?

どうも、ゆるく生きる事に、コミットした管理人です。


ゆるく生きるというと、思い浮かぶのが「沖縄」。

だって「沖縄タイム」って素敵ですよね。あれは超”ゆるい”!


そもそも、”ゆるい”とはなんなのか?
私の考える”ゆるい”とは、「自分を強制しない生き方」です。

無理になにかをしようとする訳でなく、無理に他人からこう見られたいと思うのでなく、

”自然体”

それが、ゆるいことだと定義しています。



そして僕の中にある方程式
【沖縄の生活=ゆるい生活】

この定義は僕の脳内で勝手にイメージしてるだけなので、本当の所は、わかりません。

自然体ってすごく難しいですよね。

「自由になると、縛られたくなる。」それが人間ですからね。


縛られている方が安心なときもありますよね。

これは日本教育が大きく影響している結果です。


生まれてからずっと、常に他人から課題を与えられ、育ってしまったので、
自由が逆にしんどい。

自分の心の声が聞こえづらくなってるんですよね。

もう、この状況はやばい!

これを改善するには、環境を変えるしかない、そう思ってあることを決めました。


「僕,仕事辞めて、沖縄いきます。」



僕、
仕事辞めて、
沖縄生きます。



大事なので二回言いました。笑




いきなり仕事辞めるというと、心配されますが。
(実は副業で月10万円くらい稼いでます)


人間が変わるのは、

住む場所を替えた時
付き合う人間を替えた時
仕事を替えた時

この三つくらいらしいです。


僕は、人生の実験もかねて(沖縄は本当にゆるいのか?)、住む場所を替えてみます。




ということで、


これからは、



このブログ、





沖縄はゆるいのか検証してみるブログになります。



では!


沖縄の人はよろしく!

競争はたのしい?

世の中には、「成功体験」という言葉がありますよね。この言葉、普通にみなさん使ってるけど、難しいことばですよね。

成功体験を呼び起こす!なんて言っても、人によって何に成功した!と感じるかわからないですかね。


人に勝った = 成功した! って考える人は多いと思います。

確かに、社会人、学生、フリーター、みなさんいつも周りと優劣を付け合っています。


自分の所属するコミュニティの中で、優秀な部類でいたら、居心地がいいですよね。それは、知らず知らずのうちに、周りのひとたちを上から目線で見てしまっているからなんですよね。


また、人との優劣は気にしないで、

自分が満足した = 成功した!

って考える人もいると思います。


どちらの考えにもいい面、悪い面があります。


人との競争を好むひとは、性的魅力が強い人が多い傾向にあります。

自分の満足を追求する人は、クリエイティブな人が多い傾向にあります。


クリエイティブな人も、「あいつよりいいもの作ってやる!」とか思うとは思いますが、いい新しいものを世に生み出す人のパワーの源は、自己満からくることが多いです。

競争を意識すると、本来の楽しさや、情熱を忘れてしまうから。それが作品にあらわれてしまうのです。


ゆるく生きるひとは、クリエイティブ思考でなければ、難しいです。

周りの目を意識したり、勝ちたいと考えると、「こんなんでいいのだろうか?」と負の感情に包まれてしまいます。


しかし、人生は競うものじゃないんです。深層心理には、競争するべきとゆう考えが植え付けられています。教育システムがそうしているからです。

今の時代、競争に勝たなければ生きていけないことなんて、ないと思います。人は生きるために競争してきました。

もう違うのです。一人一人が心と向き合って幸せを探せる環境にいるのですから、心と向き合ってほしいものです。


いまの学校での教育は基本的に「雇われるための教育」です。

みなさん、必死に誰かの下で働くように教育されているのです。そのために競争させるのです。


意識を変えましょう。私たちは、競争しないことを許可します。心に許可をして下さい。

しなければならないことは存在しません。

したいからやっているんでしょ?


競争がなければ、落ちこぼれも存在しません。また、優劣意識も芽生える事はありません。

そして、穏やかな心で、本当の豊かさを見つける思考の度に出るとしませんか?


そのために、することは、人に勝った体験や、成功体験を捨てる事です。実は、勝ったと感じていたことは、成功と感じていた事は、自分の思い込みだったのかなと。

みんなそれぞれの満足ポイントがありますからね。


そして、あなたが見下している人はいませんか?思いついた人は、その人と同じ目線になってください。

あなたはその人より優れているのではありません。あなたの世界の中の基準で、勝ってると感じているだけです。

そのフィルターを感じることから初めて見ましょう。

すべての行動はある感情へとつながるために。

あなたがいま小さな事で悩んだり、必要以上に考えてしまっているなら、考えてほしいことがあります。


状況がどうなったらあなたは満足ですか?

目標が達成できた、人間関係が良好、とか超お金持ちになったとか。それぞれ満足だなーって思う状態があるとおもいます。


では、その状態になった自分を想像してください。


そのときのあなたはどんな感情を抱いていますか?


ふわーっとした気持ちになっていますか?キラキラしていますか?

いろんな表現があるかと思います。

なんにしろ、私たちが行うことは、その感情を得るための行動です。それ以外ありません。

その感情を得る事がゴールで、一本道になっています。


いまあなたが悩んだり、深く考えすぎるのも、どうしたらゴールの感情を得ることができるだろーって模索してる証拠ですよね。


だから、先回りしてゴールの感情を感じてしまいましょう。イマジネーションが強ければ、その感情にたどりつくことができます。瞑想なんかもいい方法です。



逆に、成功者の多くは、ゴールの感情をもっている人のところに、目標にたどり着くための材料が引き寄せられて行くと考えています。そしてそれは本当です。

まあ引き寄せるというか、目の前にあったものに気がつく様になった、というのが正しいかもしれません。


ゴールから今の自分を見てみる。そうすると、いまの自分はいくつもの選択肢があって、分岐点に立っているから悩んでいる様に思っていたかもしれませんが、実はゴールから見れば一本道で、やるべき事は決まっている、悩む事なんてなにもないことに気がつきます。

また、過去の自分にとらわれすぎないためにも、ゴールから振り返ることは大切です。

過去と今しかアイテムがないひとは、未来は過去の延長線上になるでしょう。

過去の延長線上はいや、変わりたいというならば、ゴールを意識することです。


そして、日々の生活の中の小さな選択を少しずつ変えましょう。


いまからでも、変われます。これを呼んだら、寝る前にいつもとは違う選択をしてみましょう。それが積み重なって、全く別の人生となることは、将来実感することでしょう。あのときが分岐点だったなって思える日が今日なら最高ですね。


あなたの心を幸せにするのは、あなたの心次第。

幸せにしてあげましょう。


それでは、おやすみなさい。

目的を達成すること=満足度が高いのか問い直そう。

たとえば、休みの日。


どこどこに行こうと恋人と約束をしたとしようか。


準備万端なあなたは、ばっちりスケジュールを組み立てる。


あとはこのスケジュールを実行していくだけ。


レストランも予約した。ホテルも予約した。遊園地のあとは美術館。


楽しみですねー。


でも当日、スケジュール通りに行かない事がある。

せっかくいろいろ考えたのに。時間が遅れてきて美術館はいかれないかもしれない。

レストランの手違いで席が取れてないかもしれない。

途中で、計画の場所よりもっと行きたくなるようなところを見つけてしまうかもしれない。


そんなとき、あなたはどお感じますか?



スケジュール通りに行かない事に対して、イライラしてしまう人はいませんか?

でもそれは、本来の目的を見失っているように思えます。

楽しむための休日、スケジュール通りじゃ無くても楽しめますよ。



目の前の目的のために、本来の大きな目的を見失っています。


無駄な時間なんてありません。


娯楽の施設にいかなくても、楽しみや発見は見つけられます。

施設に行く事が目的ではなく、施設に行って得る事ができる感情が欲しかったんですよね?


それなら、施設にいかれないなら、別の方法でその感情を得ることを考えましょう。


もともと、楽しさやワクワクを得るために、詰め込みすぎちゃう人が多いように感じられます。


そんなに詰め込んで、時間的に余裕か無い状態では、ゆとりのある心の幸福にはたどり着けませんよ。

旅行会社のツアーなんかがいい例です。

まあ、余裕が無い方が、やりきった感とか遊んだ感じがして、満足度を得た感じになるんですけどね。

錯覚なんですよね、それって。


もっと、心の奥底から楽しめることっていうのは、そんな受け手な状態では得る事は難しいです。





無駄な時間なんて、この世の中にはありません。


電車に乗り遅れても、待ってる時間を無駄にするのはあなたです。時間に罪はありません。幸せな時間にする人もいるでしょう。


そのような人は、スケジュール通りにならなくても、イライラしないし、幸せな時間を作り出す事ができます。


幸せな時間は、そこには存在しません。あなたが作り出しているものなのですから。気づくかどうかです。


皮肉な事に、幸せのための手段に、幸せを気づく事を妨害されている人が多い世の中です。



休みの日くらい、目的をつくらず、ふらふらしたらどうですか?
むだな時間をすごすと思うか、いままで見せかけの充実感を得ていたと気づくか、

すべてはあなたの心の問題です。

なーんちゃって。

役割とばらんす

あなたは、自分の役割について本気で考えたことありますか?

あなたが所属するグループの中であなたはどんな役割を担ってますか?


また、他人の役割について考えたことありますか?

例えば、

クラスに問題児ってさ、必ず現れるんだよね。

なんでだろう。

そして、その問題児を排除しようとすると、また新しい問題児が現れるんだよね。

これは、そのコミュニティに必要不可欠だから問題児が形成されるんです。
だから、排除してもコミュニティの環境がそのままなら、問題児はいなくなりません。

とゆうか、問題児がいてくれてありがとう。って思ってもいい。

クラスがまとまるために、誰かが問題児の役割をして、先生含め、みんながまとまって批判的になるか、更生させていく方向で頑張るか。

どっちみち問題児のおかけで、グループ全体はいい方向に向かうんです。

例えば、家庭に置き換えると、子供がめっちゃいい子になるか、不良になるか。

全然違うようで、役割は同じです。

両親の仲が悪い場合、子供は仲を取り持とうとし、機嫌が悪くならない様にめっちゃいい子を演じるか、不良になって、二人に目を向けてもらい、二人を協力させて仲を取り持とうとする。

役割は同じです。


だからね、もし、あなたの所属するグループにクソみたいな奴がいると思っても、批判的にならずに、その人のしている役割について考えてあげてね。

その人がダメなんじゃなくて、その環境にはその役割が必要だから、そおゆう人が、現れるんだよ。

命の価値は相対評価で決めてみよう。

僕ね、いつもご飯食べるときに思うんです。


「命食べてるんだな」って。気持ち悪いですか?^^


でも本当にそんなこと考えながら食べてます。特に魚とかお肉食べるとき。


もちろん野菜食べるのも命を頂いてるんだよね。


食べるのは一瞬だけど、そこに行き着くまでに、多くの年月と日光、水、栄養、人間による手入れがあったんだよね。


しかも、それを運ぶ人や料理する人、テーブルまで持って来てくれる人がいる。


その料理を食べるために使う、お箸、テーブル、椅子。それらを提供するために使われた木は長い時間をかけて成長し、人にきられ、加工してくれる人がいて、お店の人が選んで用意しておいてくれた。


目の前にある料理を口に運ぶために、どれだけの人が関わり、どれだけの貴重な命が失われ、どれだけの労力がかかったのか考えちゃうことがある。

みんなが自分のために動いてくれたような感覚。王様みたいだよね。
お金ってすごいな。王様だねー。

資本主義ってよくできてるなーとか考えだしちゃいますよね。

そんなとき思ったんだけど、「私がいま食べた魚の命の価値と、私の命の価値は同じか?」とゆう疑問がわいてきました。


残酷な問いですよね。


結論からいえば、価値は平等ではないです。



私たちは死ぬまでに、いくつもの命を食します。

死ぬまでに
他の命を100000個からだに取り入れる生物と

他の命を10個からだに取り入れる生物の命の価値が同じとは思えません。

とゆう理論で考えると、植物は生物の中で一番価値が低いです。

そして、価値の低い植物を食べる草食動物は次に価値が低い。

草食動物を食べる肉食動物は価値がたかいです。

いくつ命を食すのかが価値をきめる場合ね。

単純だけど。

別の視点で考えてみても、価値が需要と供給で決まるというなら、数が多ければ価値は低いですよね。


とゆうことは植物なんかはすぐに新しい命が生まれるので価値が低いです。


以下、上と同じ順位です。


命の価値が平等だなんて、ありえないお話です。

本当の幸せを見つける方法、あなたは知っていますか?

毎日仕事をしてる人にとって、休日とは至福のひとときですよね。



それは、毎日の仕事がつらいから。つらいことから逃れることができるから幸せに感じる。


でもそれは本当の幸せじゃない。落差からくる幸せ、または相対的評価によってもたらされる幸せです。


仕事以外でもつらいことから解放されるときに幸せを感じたことがあると思います。


そんな次元の低いことで幸せを感じると錯覚していては、本当の幸せにたどり着くことはできません。



たどりつくためには、つらいと思うことをやめることです。


仕事がつらいなーと思うならやめることです。


そうしないと本当の幸せは見ることも感じることもできません。 つらいことから逃げるから幸せということではありません。


幸せを隠してる事柄を取り除こう。そうすることで本当の幸せを見つけるためのスタートラインにたてるんだよってことです。


こんなことを言うと、つらいことを経てくるからこそ本当の幸せがわかるんだ!なんて言われそうですね。


でも、それは次元の低い感情です。自分をだましているだけです。0からマイナスにして、0に戻す。そのとき幸せじゃんみたいな。

いやいや、幸せは0から100になったときに感じるんだよ。

下げてから上げることでだますテクニック、そんな下品な営業マンがつかう様な方法で自分をだますのはやめましょう。


心がつらいと感じるなら取り除いてあげましょう。自分を大切にしてあげてくださいね。


おやすみなさい。